作家 山口瞳についてとりあげる
- 飯田市 塾 万骨
私は川路学習教室のホームページを2つ持っている。その1つの方に、今週の一言 というものを書いているが、そこから同じものをコピーして貼り付けてみた。これは8月書いたものだ。9月書いたものを、また、近日中にコピーして貼り付け る予定。
それでは、読んでみてください。
今週の一言は、作家の 故 山口瞳をとりあげる。
かつて山口瞳は言った、「一将功なりて、万骨枯る。」
その万骨の思いを書きたかった、と。
少し詳しく言うと、一人の大将が功をなすときには、それ以外の万骨、すなわち部下のほとんどが死ぬ。
万骨、すなわち部下である一般大衆が犠牲となって一人の
大将の功績がある。その万骨の思いを書きたかった、と。
山口瞳は言っていた。その言葉に私は、激しく共鳴した。
それはまだ太平洋戦争が終わって間もない時代だった。
ネットで調べると、1926年(大正15年)1月19日(戸籍上は
11月3日)ー1995年(平成7年)8月30日)となっている。
日本の男性作家、エッセイスト。とある。まさに戦前、
戦中、戦後を生きた作家だった。
でも令和7年8月5日現在でも、この山口瞳が持っていた思いは十分に通用すると私は思う。
その社会や組織の構造が変わっていないのだから。
さらに、ネットで調べるとこうある。
東京府生。旧制第一早稲田高等学院(現・早稲田大学高等学院)中退。
寿屋(現サントリー)でPR誌『洋酒天国』の 編集に当たる。
『江分利満氏の優雅な生活』で昭和37年度直木賞を受賞。
死去まで『週刊新潮』に連載したコラム『男性自身』は記録的長寿となった。『血族』で菊池寛賞。『居酒屋兆治』『湖沼学入門』などがある。とある。
熱心に読んだのがもう随分前なので、ほとんど覚えていないが、この「一将功なりて万骨枯る」その万骨の思いを書きたかった、という一節だけは今でも忘れない。
この作家からは大切なことを学んだと思っている。もしかしたら、そういう大切な言葉の数々が、私の心の支えのひとつになっているのかもしれない。