テーマは前回に引き続き人類学について引用して考える『ひっくり返す人類学』生きづらさの「そもそも」 を問うこのテーマでは最終回 奥野克巳 著
- 飯田市 塾 人類学 生きづらさの「そもそも」を問う お知らせ
『ひっくり返す人類学』生きづらさの「そもそも」を問う 奥野克巳 著ちくまプリマー新書 より引用
「2 『ひっくり返す人類学』とは何か?」本書15ページ
「 こうしたフィールドワークの果てに、私自身が最近になって新しく始めた試みがあります。それは、単独でフィールドワークをするのではなく、異なる業種や専門を持つ人たちとともにフィールドワークに行くというものです。人類学のフィールドワークは一般的には個人で行われるものですから、研究者ではない業種の人たちと複数人で行くという例はあまり多くありません。しかしこの試みが少しずつ面白い結果を示してきているように感じています。
2024年1月から、仲間たちと「聞き流す、人類学」と題するYouTube番組を始めました。そのチームのメンバーである加藤志異(かとうしい)さんと喜屋武悠生(きやんゆうき)さんと、私が講師を務めた市民講座に参加したことのある山田彩加(やまだあやか)さんとともに、2024年3月に半月ほど、ブナンのフィールドワークに出かけました。加藤さんは妖怪絵本作家で、りんごの行商などもやっている40代後半の男性です。喜屋武さんは、三線(さんしん)の流しやバーの不定期店長などをやっている30代後半のマルチタレントです。山田さんは理学療法士の資格を持ちながら、2022年秋から石川県で地域おこし協力隊員として働いている30代前半の女性です。
この3人に共通しているのは、現代日本社会の中で定職を得て、すんなりと社会に適応して暮らしているわけではないという点です。そうしないことを意図的に選択したり、もしくは何らかの理由でそれができにくかったりする中で、いろんなことにぶち当たりながらも挑戦を繰り返して生きています。彼らは、生きづらい、生きにくいと感じられる現代日本の現実に疑問を持ち、のびのびとした人間の姿を求めてボルネオの森の狩猟採集民の世界に行ってみようと思ったようでした。」 中略
「さて、加藤さん、喜屋武さん、山田さんというブナンに行った3人がフィールドのど真ん中で語る言葉からいったいどんなことが言えるのでしょうか?私が思うに、彼らは、ブナンの暮らしぶりを見て気づいたことを、彼らの日本での日常生活に関連づけながら考えて語ってくれたように思えます。そしてこれが、参与観察における重要な思考なのです。フィールドワークに行って考えるのは、目の前にいる人々と自分たちの日頃の振る舞いの違いです。ただぼんやりとフィールドワークの人々を観察するのではなく、自分と比較しながら、自分たちのやり方や考え方を問い直してみることが彼らのやったことだったと言えるでしょう。
ブナンと暮らしてみて3人はそれぞれ、自分たちの日本での元々の暮らし方や生き方を見つめ直し始めました。言い換えれば、なじみの薄い土地で経験や直感を頼りにしながら、彼らは、日々暮らしている中で身にしみついてしまった自らの「当たり前」をひっくり返そうとしたのです。そう、「当たり前」すぎて気づかなかった日常を「ひっくり返す」ことこそが、フィールドワークの大きな効用なのです。
本書『ひっくり返す人類学』のタイトルは、そこから来ています。私たちのやり方や考え方をひっくり返してみるのです。これは、物事の根源に立ち戻って存在意義や必要性などを問う一種の「そもそも論」ですが、それを具体的な民族誌の事例の中から考えていくという点は、人類学独自の思考方法と言えるでしょう。
人類学者がこれまでやって考えてきたことも、今回3人がブナンを訪ねてやったこともほとんど変わりません。人類学は、「ゼロ地点」にまで立ち戻って、事柄の本質を問うレベルに達することを目指して研究してきたのです。」
以上で引用は終わるが、ひっくり返す人類学という言葉の意味を理解していただけたでしょうか。この本にはまだ、「学校や教育とはそもそも何なのか」「貧富の格差や権力とはそもそも何なのか」「心の病や死とはそもそも何なのか」「自然や人間とはそもそも何なのか」など興味深い内容が数多く書いてあります。興味のある方は一読をお薦めします。この本で人類学のことをほんの少し知り、大変勉強になりました。
次回今週の一言は、また別のテーマを考えてみたいと思います。